LOVE

LOVEはほんと、いろんなとこにある。
嵐もとうとう人類の確信に迫るようなテーマをぶちこんできた。
またひとつ歳取りました。お祝いみんなありがとう!泣ける(;;)


嵐の「愛」について考えたいけどその前に、
スキマスイッチの方の「藍」について本気出して考えたい。


わたしスキマスイッチ好きなんです(いまさら)
デビュー10周年を越えましてそれも記念しまして永遠のテーマである
「藍」について考えたい。

だいぶ濃いのでスキマファンの方か、藍について考えたいってやさしーいやさしーいお方がいれば読んでくださいその際には心から泣きます!!!!(誰も嬉しくないよー)


スキマスイッチの「藍」っていうのは、通算3枚目のアルバム「夕風ブレンド」の1曲目に収録されている曲。
最近激やせしたボーカル大橋くんが泣きながら歌詞を書いて完成して泣きながらお酒を飲んだ曲です。(スキマスイッチってこんな人間くさい人なんだよ)


冒頭は
愛 どこで誰が創造したもんなんでしょうか 難解なんだね
感情ってどこへ向かうべきもんなんでしょうか そっと教えてよ

という壮絶な歌詞から始まる
この歌詞からも読み取れるようにこれはいわゆるハッピーな恋愛ではないことがわかります。


飛ぶ鳥は大空を迷うことなく飛べるのに
一体僕らはどこへ向かうんだろう

ここでも「向かう」という言葉が出現。
自分の感情も、「僕ら」はまだ誰かは明確にしていませんが、その行く末もわからない、完全に迷っている状態です。


そしてサビに入ります。
恋愛の成功率はね散々でねいつだって成就しないまま
とはいえ好きになっちゃうんじゃ もう嫌になるよ
どうかいなくなれこんなんなら存在自体よ消えちまえ
そう思ってどのくらい経つんだろう 来週はいつ会えるんだろう


ここで「恋愛」というワードが出てきます。
なので冒頭の「僕ら」とは愛し合っているふたりであると解釈してよいかと。
この恋愛は何かしらの理由でうまくいっていない、または愛し合っていたとしてもそれが認められない関係である。
というのは「成功率は散々」という歌詞から理解でき、また「来週はいつ会えるんだろう」と会うことも難しい関係、または制限時されている、
つまりよくこの「藍」という歌をファンの間でよく推測しているとおり、「不倫」の関係であると捉えることもできます。なるほど、納得できる。
しかし、わたしはここからの2番の歌詞で疑問を覚えるのです。


愛すべき人は運命的に決まってるって それが本当なら
視界に入ったもの全部受け入れてしまえばいいんだ 分かっちゃいるんだよ


なぜ疑問かというと、この「愛すべき人」とは誰のことか。
この物語の主人公にとってなのか、もし不倫の関係であるとすれば、
不倫相手の実の夫にとってなのか。全然わからなくなります。
そして次。視界に入ったものとはこの関係のことでしょうか。
謎は深まるばかり。


大通りのど真ん中を歩けるような僕じゃないから
大抵足元 気にして生きてる


これからのサビです。
最大の問題点はね 現状じゃね どうしようもない関係だね
とはいえ会いたくなるんじゃ もう嫌になるよ
どうかいなくなれこんなんなら存在自体よ消えちまえ
そう思ってどんくらい経つんだろう


恋愛の成功率はね散々でねいつだって成就しないまま
とはいえ好きになっちゃうんじゃもう嫌になるよ
どうかいなくなれこんなんなら存在自体よ消えちまえ
そう思ってどんくらい経つだろう


最大の問題点はね現状じゃね どうしようもない関係だね
とはいえ会いたくなるんじゃもう嫌になるよ
どうかいなくなれ こんなんなら存在自体よ消えちまえ
来週はいつ会えるんだろう
ねぇ僕らいつ会えるの


最後までサビの繰り返しです。
そもそも恋愛とは何でしょうか。
「恋」は下心、「愛」は真心といいますが、まさにこの「恋愛」を
「藍」という言葉でこの曲は表してるんではないでしょうか。
この主人公やその相手すべてを取り巻く状況が「藍」なんです。
青でもなく緑でもない、黒にもならない。
でも「出藍の誉れ」、「青は藍より出でて藍より青し」という諺にもあるように
「藍」というものはどの色にも当てはまらないことから優れており、
なお純粋であることを意味するのだそうです。
もしこれをスキマのふたりが意図していたとしたらどうでしょうか。
1番に書いた推測は少し濁るかも知れません。


また、地球の色もよく「藍色」と表されます。
いろいろ調べてみたのですが、「藍」のオーラを持つ人は
直観性・脳下垂体・頚動脈・延髄 ・活力を鎮まり回復させる、
血圧・脈拍・呼吸速度を(低下・減少させる) という働きがあるそうです。


これらを踏まえるとこの物語の中の恋愛は純粋であるが、
「愛」を単独で多用することもある。
「恋愛の成功」とはなんでしょうか、付き合うこと、結婚すること、
いろいろありますがここではもっと壮大なことである気がします。


スキマスイッチはもともと宇宙を題材にする曲が多いです。
実際このアルバムもジャケットが宇宙にいる設定になっています。


この推測はどこでも見たことがないので書くのに時間がかかりましたが...
この物語は地球=藍の中のひとつの愛=藍について書かれた詩だと思いました。


ふたりが「恋愛」をして(恋愛っていう言葉は若いふたりに使うイメージがあるから)いつしか「結婚」したと仮定します。それは「愛=藍」の生活。
でも「迷っている」主人公がいて、それはなぜかというとそれにいつか「終わり」があるから。先ほど記述したように「藍」には落ち着かせる、つまり終息に向かわせるという意味もあります。
この歌詞の中に出てくる状況すべてが「藍」なんだとわたしは思ってます。
主人公が大通りのど真ん中を歩けないのも藍で、
とはいえ好きになるのも藍=愛。
もしかしたら主人公の「愛すべき人」はこの世を去ってしまったのではないでしょうか。
すべての辻褄が合います。
「(確かに愛しているのにまだ存在するのに)どうしようもない関係」
「とはいえ会いたくなる」
「とはいえ好きになっちゃう」
「どうかいなくなれと思ってどのくらい経つんだろう」
「来週はいつ会えるんだろう」


この解釈をしてから、この藍を歌う大橋くんが泣きそうになっていることを
理解できました。
とても悲しい物語かもしれないけど、とてもとても美しい、ピュアな物語だと思います。
存在は目に見えなくても、どうかいなくなればいいのにと思うほどに自分の中に生きている、それだけ大事で大好きなのに大好きなのにどうやってどこに向かって自分の想いを伝えたらいいかわからない、伝えられるのかもわからない、
自分は一体どこに向かったらいいんだろう、それでも会えることを待っている。


終わりは辛いです、でも辛いことばっかりじゃないんだよね。
最近そういう経験が多すぎて辛かったんだけど。
でもこの曲をこう解釈できるようになった自分は少しだけでも
大きくかつ繊細になれてたらいいなって、こう思ってるのです。