〇〇な人の末路

「この人はどうしてこの文章を残したのだろう」と考えることで知識は数倍にも深まる。例えばナイチンゲールが看護覚え書を残すに至った理由。彼女はもともと統計学の視点から公衆衛生を考えていたことでそこに至った。歴史を辿るとあの人とあの人がここで繋がってたのか!なんて発見もある。今までは目の前の患者さんとお話するときに聞かせてもらうこともあったのだけど、今はお世話になっている教授や院生、そして本の中の偉人たちに聞かせてもらっている。

ある選択の連続が末路になるわけで、学校で習った世界史や日本史も、偉人の選択やその理由を知ろうとしていれば、もっともっと楽しかったのだろうし、歴史が楽しいと言っていた子たちはその楽しさを知っていたのだろうなと今では思う。もし自分が教える立場になるのなら、学生に楽しい学び方を知ってほしいと思った。知識は使わなければ忘れていってしまうけれど、学び方は結構覚えている。それから学び方さえわかっているのなら、学びたい、学べるタイミングでその力を発揮することができる。生きていく上でとても大切な力だと思う。


ところでドラマの方ですが、なんやかんや、きっといい結末になるのだろう、と結構冷静に見てたらなんと予想だにしない結末に転がってきていてなかなか見応えがある。(にかちゃん出てるから見始めたんですけどね)横尾さんの婚約者は横尾さんが仮想通貨で儲かったことをきっかけに変わってしまったけれど、世の中にはそこで変わらない人もいると思うのです。それって何が違うのかなぁって考えると、「人」としての直観だと思う。その直観って、きっと人から培われるのだろうし、その人って自分で集めている部分もあるのだろうし、だとすると感性を研ぎ澄まして「自分は」どう思うのかを自分に問いかけて考えて発信をしなければならないと思う。時間がある今だからこそ、と自分に語りかけている。