あぁそうか

最近、「君の膵臓を食べたい」をもう一度読んだ。
前に読んだのは1年前ぐらいだったか..
自分の中で落とし所が見つからなくて、もう一度読んでみようと思ったところだった。

さて話は変わり。最近の看護理論の授業でプレゼンするために資料を作っていた。そこで「前提」という言葉が出てきていたので調べてみたのだ。理論における「前提」という概念は、どうやら「誰も疑う余地もないような当たり前の概念」のことを指すらしい。

本題に戻る。わたしは「つくづくひとりじゃ生きられないなぁ」と思ってきたし、それは「前提」だった。疑う余地もないのだから、それがどうしてなのかって言葉にすることもなかった。

でもこの本の中で答えのようなことが書いてあった。生きることがどんなことか「君」から聞かれた彼女は「人とつながっていること」そして「自分ひとりじゃ、生きているってわからない」と答えた。そっか、誰かがいてくれないと生きているってわからないから、それは生きていることにはならないのか、と妙にすとんと心に落ちるひとことだった。

最近ハイデガー存在と時間を読んでいた。例えば話したいと思う人がいて、話を聴きたいと思う人がいるからこそ、自分は存在していることに気づく。生きていると思えるのも自分が存在していいと思える目の前の大切な人がいてくれるからこそ。
いつかクレヨンしんちゃんのパパひろしが言った、「命が大切なんじゃない、しんのすけお前の命が大切なんだ」という名言がふと思い浮かんだ。
目の前の大切な人に大切だと伝えること、それは生きていることを伝えることにもなる。毎日の些細なやり取りは誰かの心を助けてくれるのかもしれない。

なんかそんなことを考えてしまう涼しい夜です。