だんだん生きやすくなってきた②

今回の10代の頃からの場所を離れるという決断は「自由と責任」の「アンバランス」な部分から解放される唯一の手段だったのだと思う。自由が与えられないと責任を持つことはできないんですよ。でもジャニーズの人達は真逆のことを延々に繰り返してきた。責任の対価として十分な自由を与えられていた訳でもない。10代からそれを繰り返しているとわからなくなる。私は行動には意味があるとは思っているけれど、その理由は後付けになっていることも多いと思っていて。
例えば、家に帰りたい、という理由には家族の顔がみたいとか、おなかがすいた、とか眠りたい、とかいろいろあるのかもしれないけど、でもそれって後付けな気がする。家に帰るという行動はルーチンであり、大切な「日常」なんです。

彼らの10代からの「アンバランス」な過ごし方が日常であるとしたら。ある日そのアンバランスさに気付いた人は。どうなるのか。二宮氏の「嵐の自分だから仕事がきている」という考え方は本質であり、後付けであるような気もする。その「日常」から抜ける決断も、その「日常」を続ける決断も、どちらの生き方も大きなエネルギーが必要で、私には到底できない、と思う。そしてそのエネルギーがアイドルの憧れとか儚さとかに繋がっているのだとしても、そのエネルギー量が少しだけでも少なくなるような生き方ができるようになったらいいのにと願ってしまう。