蟻に差し出された傘

「理解できなくてもいいんだよ。理解しようとしてくれた、それだけで俺十分だよ。じゅんちゃんが俺の大事な友達ってことは変わらないんだから」


深夜枠、加藤シゲさんの原作がドラマ化されていて、昨日が最終回だった。
「蟻たちは」の続きに何を想像したらよいのか正解を知りたくてある友達を思いながら毎週見ていた。理解しようと思ってもどうしても理解できないことが多すぎる。それが近ければ近いほど、大切であれば大切な人であるほどこんなことが起こりやすいのはどうしてだろうと思う。その友達が一番辛いときにそばにいたかった。だけど私はじゅんちゃんみたいに理解しようと思ったけどできなくて、お互いにしんどいのならそばにいない方がいいとしばらく逃げていた。でもそれは単なる言い訳で、理解できない自分がただ単純に悔しかっただけで、自分がただ苦しくて逃げていた。思いやりとか優しさとかなんだろうって3か月近くずーっと考え続けていたけれど、結局物事はさっきの言葉みたいにもっと単純だった。いつも物事は単純だと思うのにどうして人は悩むのだろう。