「おけない感」論

さとし担トップの櫻井先輩が前に「メンバーの中で放っておけないのは?」っていう質問に対して「さとしくんかなぁ。なんか放って置いたらどっかいっちゃいそう」って答えてたことがありましたね。なんか今、そのフレーズが頭の中リフレインしています。嵐のひとたちの中でも放っておけない感すさまじくありすぎる人がいらっしゃいますね・・・。すぐにどっか行って消えちゃいそうだし、ちゃんと帰ってきてくれなさそうだし、電話繋がらないし・・・誰とはいいませんけど・・・いや、見方によっちゃ全員放っておけないんだけれども。放っておけない人をスキになるのかしら・・・?


今日のえけびの選挙で、こじはるさんが「放っておけない人になれるようにがんばります(ニュアンス)」とおっしゃられたのを見て、あぁ、なんとなく、その気持ち、わたし知ってる気がするなぁと思ったんです。


先生と面接をする機会が定期的にあって、自分自身、よく言われるのが「特に指導しなくても、ちゃんと自分でやっていける」という言葉なんですよね。わたし、放っておいていいかそうでないかで考えると絶対に「放っておいて大丈夫な人」の類に入るんだと思うんですね。それは、本当に実力があるからというわけではなくて、なんとなく「放っておいて大丈夫」っていう類です。それが「=信頼」として受け止めれれば、それでいいのでしょうが、そういうのにさみしさを感じることって、ありませんか・・・?ないですか・・・。(なんで聞いてんねん)放って置けない感ある人にすごい憧れを感じたりします(どないや)


わたしのそばにいてくれる人たちは、自分のこと「放っておけない」って思ってくれてると思うんですね・・・。わたしがそばにいようとする人も「放っておけない」って思う人たちなんですたぶん。


それで、しょうさんに思いを馳せてみるんですけれど、翔さんの周りにはきっと「放っておけない」人たちが溢れていっぱいいるから(愛しのさとしはじめ)、翔さんのことを「放っておけない」ってそばにいてくれて、なおかつそれを翔さんが何も考えず受け入れられるひとがいてくれたらいいなぁと思うんですね。しょうさんって最初に書いたのと全く逆で、「どこどこ放浪してもちゃんと最後に帰ってくる人」っていう印象があるんですね、わたしもおそらくそういう印象があると思う・・・翔ちゃんはそういう寂しさとか、感じたことはないのかなぁ。きっとあっても言わないだろうなぁ。翔ちゃんの固い鉄壁の中にある、やわらかい部分に触れられる人って、どんな人なんだろう。嵐のメンバーがそうなのかなぁ。



翔さんになぜか浸ってみる夜・・・。(余計なお世話)