こんなときになんだけど。

例えば自分がどうしようもなく落ち込んで何にもする気がなくなって、人の信頼って一体なんなのさ、けっ、結局自分が一番かわいいんだぜ、けっ∩( `▽´)∩ (さいてい)ってなったときにいつもとりためた宿題くんを見るんです。
相葉キャスター(スザンヌ)の回を見てみる。あの秀才キャスターショ・サクライの横で「あいばまさきでっすっ(*^▽^*)」ってあいばっちが自分の名前を言って、冬将軍に対して「強いですね〜v」とか、0.2%の金利のことを「100分の1ですね〜」とか、「円高についてはどうお考えですか?」というショさんに容赦なく「円高がやっときたなっていう感じですね(゚∇^ヘ)」なんて立派に話し、「日本経済について胸に手を当てて考えてほしい」とか、言ってる姿は天使・あいばっちにしか見えない。もう後光が差してるよ、あなたはミラクル天使以外の何ものでもないよ〜〜〜(´_`。)と気づいたら顔がぐしゃぐしゃになってるっていうのはよくある話。(そうでもないか)
で、じゅんくんにニックネーム「J」がつけられたあとに焼き芋屋さんの話になって「うちの近くにいた(*^▽^*)」っていうあいばっちに「どこにでもいるよ」と的確で明確ではいそのとおりですという素晴らしきつっこみをそんなJがあいばっちにかますのだけどそれに重なって「あんまJを怒らすなよ」とにのさんがあいばっちに突っ込んだ際にはもう…もう…なんかミラクル。
けっ∩( `▽´)∩ (さいてい)という心を変えるのではなく、あぁ、今は泣いていいんだな、とかとりあえず自分はしんどいんだな、とか別に悩んでもいいんだな、とか仕方のない感情なんだとかまず悲しみの需要をしてくれるのがこんな深夜にうだうだしている嵐さん。そんな温かさがあるのが嵐さん。人と人の関係って難しいけどこんなすてきな関係(あらしさんのこと)が存在するという事実はわたしにとっては宝物。そしてそんな関係が自分にもいっぱいある、って気づける機会となるのです。

以下完全にじぶんごと。

例えばくだらない話を,ずっと聞いてくれるひとがいて、で聞くだけじゃなくてどうしたらいいか一緒に悩んでくれる人が例えばいたとして、それがどれだけ恵まれていることなのか…中途半端な優しさって信頼ならないから「?」ってなるのだけど、例えば優しさに責任持てるひとが近くにいたとしたらそれはどれだけ幸せなことだろうか。そのひとに与えられたたった1日24時間のうちの貴重な時間を、自分のために使ってくれるひとがいるってどんなに幸せなことなんだろう。大切な、大切な時間なのに・・・今はそれに甘えちゃうことしかできないけれど・・・むしろしっかり甘えて、自分の心を立ち直らせないとね。どーでもいい話、わたしは甘えるのがすーごく苦手です。だからかわいらしーい人が心底羨ましい。いや、そんな平気じゃないけど平気なふりしたり、人と一緒にいるときは自分にあまり興味を持たないから知らんふりいっぱいできるけれども、帰ってきてひとりでどよよーんとなったりするときが多々あり。んにゃ、あたいが悪いのか?なんでぞよ?って多々あり。かといってこの気持ちをどこにぶつけてもだれかを傷つけるんだったとしたら自分でまぁいっかなんてこと多々あり。自分の主張しないこと多々あり。物分かりよさそうに見せること多々あり、都合のいい人間になること多々あり、イイ子ちゃんで終わること多々あり。諦めやすい人間なのです。自分をもっと知っておかなければならないのです。訴えることをしなくてはならないのです。そうなってしんどいんだったらさ。っていうのはわたしの今後の大きな課題。って課題に気づくのが遅いんだよなんてにのさんの突っ込みが聞こえてくる(もう幻想でしょうか)
あはは…つまり自然に甘えさせてくれる人が例えばいたらそれはそれはあたいにとって神さま女神さま仏さまなのだよ相棒よ。(こんなとこで私信はさむなばかやろう)ほんまにありがとうということで今日のぼちぼち日記は終了。
と思ったが明日の課題(明日の記憶風に)をやっていないことに今気がついてどうしようか暴れそうになる心を抑えて、あそういや途中までやってたなって思いだして安心しました。(なんやねん、一体なんやねん)