それをする理由

いろんな場面に立ち会ったとき、どうしても「なぜ、これをしているのか」
という理由(わけ)について考えたり、もしくは問われたりすることがたくさんある。
時にそれは、終わったことに関しても永遠につきまとってきたりする。

その理由は人それぞれであり…
同じ理由など、この世には存在しない。

それなのに…人はどうしてなのか、
ある理由について問われたとき、包み隠して伝えてしまうことが、ときに、ある。

ことばが使える人間は、嘘をつこうと思えば、
自分のために、人のために…と言って嘘をつくことができる。

もちろん、その「偽り」は見抜かれているときもあれば、見抜かれないときだってある。

自身も、見抜いているときと、見抜いていないとき…さまざまである。
どっちか分からないことだってたくさんある。

そして本当のことってなんだろう。
自分の中からことばが出てしまうと、何か嘘になってしまう気がする。

何かの能力を持つと、それだけ大きな責任がともなう。
その能力は例えば、ごく自分が当たり前に使っていることばだったりする。

その能力を持つのであれば、それだけの責任を背負うべきなのである。

偽りは、必要なのだろうか。その理由は何であるのか。
もっと、素直に、正直になれないものだろうか。
シンプルになったら、いろんなことから解放される。
肩の荷が下りるのに。もっと楽になれるのに。

「ことば」の能力を使う前に、その前に…
「ことば」の能力を使える土台を作りださねば。

被災地が1日もはやく復興されることを願っています。