いつも笑顔の彼女の話。

昨年、わたしより15ぐらいかな、歳上の笑顔の素敵な女性が中途採用でうちに配属になった。看護師としてはもちろん大先輩だけど、1ヶ月ほどうちのシステムとか仕事内容などフォローに付いたのがわたしだった。
彼女にはわたしと同い年の娘さんがいるという。人生としても、看護師としても大大大先輩なのに彼女はいつも「ありがとう」「助かりました」「できなくてごめんね」とこれでもかというほど腰が低くて、礼儀も素敵でわたしは尊敬していた。そしていつも笑顔だった。とにかく患者さんに対して熱かった。一緒に研修にもたくさん出かけた。


上司も人間だから、と言うと簡単だけどそれだけではすまない暴言を吐き続けた。「なぜ仕事が終わらないのか」「そんなこともできないのか」「なぜミスをするのか」気づく人は気づくし、気づかない人は気づかない。人の能力ではなく単純なマンパワー不足があること、そのような発言に傷つく人がいることに。
看護師には「患者さんにとって」高い感受性が必要だと思う。でもその感受性が高ければ高いほど、組織で傷ついてぼろぼろになる心もある。これは看護師独特な世界ではないかと思う。


彼女の目にクマができだしたのは今年に入ってからだった。笑顔もどこかぎこちなくなっていった。ミスが目立つようになった。できない自分が悪いと自分を攻め続ける言葉をこぼしていた。そして5月に入って突然仕事を休んだ。わたしはなぜか安心した。もう来なくていいと思った。彼女があれ以上傷つく必要は無いし、もっと生かされる環境が必ずある。もういいと思った。そして上司は何も気づかないまま、また暴言を繰り返す。「人が足りない」「困るわ」誰がそうさせたというのか気づかないまま。気づかない人は気づかない。そして気づく人はその環境で生きていくために「気づかない人」に変わっていく。


久しぶりに彼女に連絡した。いつものわたしの大好きな彼女だった。ゆっくりできているという。また看護師として違う場所でがんばると。彼女は気づかない人にはならなかった。そうなれたほうが楽だろうに、彼女はそれを選ばなかった。強かった。来週会えることになった。環境が人を作るのか、人が環境を作るのか。わたしは環境に作られたのか。環境を作ってきたのか。できれば彼女のような人と生きやすい環境を作れる人間になりたい。

頑張りすぎる人へ。休んでもいい。休んだ方がいいのです。