メモ書き

楽しいと思うにはものすごい苦労も悔しさも戸惑いもあるけれど結局のところ看護師になってよかったなとは思う。働く限り、また独立しない限り、どこかの組織に属さなければならないのは分かるが私は今後あの「組織」で管理職とかしていく未来がまったく見えない。勉強すればするほど、資格を取れば取るほど、またそれが組織として機能すればするほど、それはいいようでベッドサイドから離れるということなんだと実感することが多い。私は得た知識を直接患者さんへ還元できなければ意味がない、ベッドサイドにいたいと思ってしまうので適材適所でいうところのこの組織には結局のところ馴染めないのだろうなと思う。だったら場所を替えるのかと考えたが、結局大病院においてはこの流れは一緒なのである。患者さんの療養環境が良くなるのならなんでもする。残業だってウェルカムである。ただ、今している時間外の業務が直接的に還元される内容ではなく、組織的に必要だから、結局コマ扱いにされているという感覚は否めないのである。(今はなんでもしておく時期かと思うし、そこから学ぶことも多いので引き受けさせてもらっているが、これを今後も続ける労力が私にはないごめんなさい)


大学時代に塾の講師をしていた。自分は所謂「器用」ではないから何でも思考錯誤で勉強もできたわけじゃない。完全に叩き上げ人間です。センスがある人がうらやましかったなぁ。だから、塾に来る子どもたちがどこで引っかかっているかなんとなくわかったし、なんなら自分自身のことより、この子にはどんな助言が必要なのか直感的に分かる部分があって仕事自体すごく楽しかった。昔から親身に相談に乗ってくれると友達や家族には言われ続けた。でも相談に乗ってるつもりはこれっぽっちもない。ただ一緒に考えるのが好きなだけだった。
大学を卒業するときに、研究の先生が「将来あなたは先生になってそう。言葉に気持ちがあるから」と言われた。患者さんが退院するまで、在宅状況をいろいろ想像しながら退院支援を考えるのがすごく好きだし、最近病棟の先輩からは「学生指導とかしてそう」と言われ、かわいいかわいい1年目さんには「すごくわかりやすい説明だったがんばります」と言われ、挙句の果てには大学の先生から「ぼちさんには教員になってほしい。卵を育てて欲しい」と誘われた。もうこれは何かが私を導いてくれてるんじゃないか、一旦場所を移してみるべきじゃないのかと思ったが吉日。学士でも教員になれるけど、先生からマスター取っておいた方がいいと教えていただいたので引越しが落ち着いてから1年後または2年後に大学院生になるために勉強始めます。旦那さんにも「いいやんか、向いてると思うで。夜勤させるのも体心配やし」と理解を得られたので。いつもありがとう。


認知症の患者さんがすぐに私のことは忘れちゃうけど「あなたは親切にしてくれるありがとう次はいつくるの?」と言ってくれる度に臨床を離れるのはさみしく思ってしまうけれど。