嵐のハワイのいろいろを今ごろになって何度も見てる。
仕事でかなり落ち込み、いや、社会人になってから一番どん底まで落ち込んだんじゃないかというくらい泣き崩れて病棟の休憩室から帰りなくなり、先輩に車で無理矢理にも連れ帰ってもらってテレビを付けていた。顔が腫れ上がるまで泣いたのはほんとに久しぶりだったと思う。


嵐の「志」はどんなことをしている人にも目指すべきもの、持ちたいものだからここまで支持されるんだろう。
それでいて、強制力が全くない。進むべきを提示してくれていて、なんというか、心の逃げ道を作ってくれているようでもあり、不思議だ。
にのさんの言葉を常々思い出す。お金をもらって仕事してる。こちらの都合でサービスに不具合があってはいけないのだ。看護なんてその最たるものだと思う。不具合があるのに患者さんはありがとうと言う。ありがとうとこんなに言われる職業はない、と誇らしげに話をする人もいるけれど、わたしはそのありがとうをどれだけ言わせてしまっているんだろうと疑問に思って仕方がない。自分の考えがもしかしたらひねくれてるだけかもしれないが、そんな日々が続いた上に、そんな自分が新人を育てないといけない、なんの説得力も持たない自分が耐えられなかった。
送ってくれた先輩に「ぼちさんは真面目だね」と言われた。昔からよく言われるけど、わたしはただ、当たり前のことを当たり前に出来ていない現状がものすごく嫌だった。それをどこか環境のせいにしてる自分がいることを分かっていて、そんな自分もすこく嫌だった。別にストイックなわけでも、熱いわけでもなんでもない。ただただとにかく嫌だった。


嵐はあらし自身で環境をつくって、その環境に支えられてそこからまたなにかを作って積み上げてきたんだなと思うと、すごく遠い存在のようで、ただただ当たり前のことを当たり前にやってきた人たちなんだな、それができることがすごいことなんだなと感じた。


嵐を見て単純に当たり前のことを当たり前にしようという元気が出た。今までしてきたことをこれからもマイペースにやっていこうと思えた。周りには「志」を持ってる友人たちがいるからわたしはきっと大丈夫。今回の出来事をあの頃は若かったなーとか言うてみたい。