さくさく進む感じがよかったですねぇ

ほんまにゼルダの世界観に共感できへん感じがむずむずする!さくさく進むってどんな感じなのさ?逆にさくさく進まんゲームってどんなゲームださ?あれですかね、あの〜自転車ビューんってこいでて超気持ちよかったのに信号でばっちりひっかかってしまうとかそういう感じですかね。いやぁ〜それならわかりますとも!信号機がなければそれはそれは気持ちよいでしょうよ!!!そうゆうことでよかったですかねにのさん…ほんまにゼルダの世界観にハマりすぎたコメント…任天堂さんは嬉しいよね(*゚ー゚)

あ、そういえばショさんは大野さんのソロにショさん自ら参加されたそうでございまして…そうきたか!そっちだったか!一緒にブース入ったのでしょう?むふふ。でぇ、むふふ(*゚v゚*)。ショさん:「さとしくん、これでいいかなぁ?なんかもうちょっとここがこうなってこうしたらこう良くのなると思うんだけどなぁどうだろう?」さとし:「ん〜?いいと思うよ〜しょうくんすごいよね〜オレラップとかできねぇもん('-'*)」ショさん:「いや〜さとしくんだって歌いいじゃん、ダンス今年も考えるんでしょ?やっぱりもう一回録り直すわ(さとしのために)」さとし:「ん、じゃあ外で聴いてるねぇ〜しょうくんがんばってねぇ〜」こんな感じでしょうかね。えへへ。なんかがっつり踊る感じの曲ですな。

そうそう、今日ね、図書館の帰り道に赤いコーンが置いてあったんですよ。「この上にツバメがいます。しばらくの間ですので、よろしくお願いします」と書かれてあって。なんか、いいなぁ。ほっとしました。ツバメさんこちらこそよろしくお願いします。ってつぶやいたら近くを通った先生に微笑まれた。あはは。ま、いいじゃないか。


ちょっとまじめに考えてみた。


震災から3カ月経ちました。
この震災で今まで考えていたけど逃げていたことと自然と向き合わされるようになった気がする。

こらえるべき一言、こらえるべき行動というのが存在すると思います。うん。例えば〜自分が「スキ」と言ったことに対して、「私は違う」と主張するのもそれはそれでいいです。その関係が許されているならね。それもときには大切になるときがあるでしょう。しかし…それはごくわずかな関係であり。そのことばをこらえることで相手は気づくでしょう。「あ、そんなに好きじゃないんだな」と。それだけでいいと思うのだけどな。分かってほしいと思うのなら、分かろうとするこころが必要だと思う。親しければ、親しいほど…全てを分かるのはムリですがね。「その気持ちわかる」と言われても分かりっこないのです。違う生き物ですからね。その前提で理解しようと思うことがとっても大事だと思う今日このごろ。自分で胸に手を当てて反省しないとなぁ…

そして「誰かのため、人のため」とかいいつつ、ほとんどが「自分のため」なんじゃないかっていう話。わたくし最近これにひっかかっておりまして。一度行動を起こす前に考えてみるのですが、これがなかなか難しい。何のためと考え出すと何も行動できへんがな。あはは。っていうことを自分の尊敬する先生に相談してみたのですがね、その答えが「そう考えられるのはあなたの強み。」という答えが返ってきまして。はて?となりました。いやいや、行動できないんすよ…迷走しておるのですわ…結局、そういうこと考えないで、本当に純粋に行動できたらそれは意味を成す行動になると思うのですけど、それはそれであとから振り返ったら…どうだったのかっていう疑問がふつふつつ。うむ。難しいのぅ。ま、しばし考えてみたいと思います。だれかぱーふぇくとあんさー知ってる人おらんもんかね本当に…

それではぐっないです!

被災地の心が少しずつでも癒されていきますように…